1986年に発刊された外山滋比古さんの思考の整理学。本書を読むのは二度目になりますが、初回には無かった新しい所感を持ったので、書き残しておきたいと思います。
思考の整理学は全六章。第二章に「カクテル」というタイトルの文章があります。この「カクテル」を読み、排他的な思考をもつことの危うさ、そして独創でありつつ他の思考を尊重することの重要性を感じました。
なぜそう感じたのか。
それは、加齢にともなって独善的な思考に陥り始めていたことに気づいたから。年を重ねることで、様々な経験をつみ、経験上良いことと良くないことの2元的な世界の境界線の解像度が上がっていたのかもしれません。
境界線の解像度があがることで、良くないことを二度繰り返さなくなり、無駄な労力がかかることを防げ、効率があがります。
一方で、良くないことを否定し、他に同様のことをしている人を軽んじてみてしまう。また、良いことだけに絞っていくと、視野が狭くなり、行動の選択肢が狭まってしまう。
これが良くない。
と、気づかせてもらったのが「カクテル」。「カクテル」には、
ひとつだけでは、多すぎる。ひとつでは、すべてを奪ってしまう。
思考の整理学 「カクテル」 外山滋比古
という表現があります。
ひとつ、とはひとつの着想、思考のこと。
ひとつでは多すぎるというのは逆説的な表現ですが、ただひとつの思考に囚われすぎると、周辺のことが見えなくなり、独善的になってしまうという意味です。ほかのすべての思考はだめなものだ、間違っていると考えてしまいます。
また、
新しい思考を生み出す第一の条件は、あくまで独創である
思考の整理学 「カクテル」 外山滋比古
とも書かれています。
例えばA,B,C,Dという既存の思考があるときに、Xという独創を持っているとする。
独創Xは、
X=(A+B+C+D) / 4 という混ぜ合わせの思考ではなく、
X≒B という近似の思考ではなく、
また、A,B,C,Dすべてを否定したXではなく、
A,B,C,Dを尊重し、適度に参照しながら創られた思考ということです。
独創Xをつくりあげる過程については、他の章で詳しく記載されており、興味があれば読んでみてください。
「カクテル」では独創であるが独善的でない考えを学んだ。Xは良いがA,B,C,Dはありえない、ではない。唯一無二のXだけでは多すぎる。
仕事や私生活において様々な経験を積んでいく過程で、思考の境界線の解像度を上げすぎると独善的に陥ってしまいます。他の思考を尊重しつつ、独創Xを作っていくことが重要でしょう。
また、Xにたどり着く過程で、AもBもCもDもすべて経験してみるのも良いかもしれません。AがだめならB、BがだめならC、CがだめならD、Dも違ったら、これまでを振り返りつつ、思考を醗酵させてXを創ります。