60歳。
還暦。
まじか。
60歳還暦という区切りは世の中が決めたものであって、自分として何かが変わるわけではない。
でも区切りの良い年齢であることには間違いないのでそれなりに意識してる。
あと10年ちょっとでその年齢に達する今、60歳になった自分のイメージと、今後10数年間の過ごし方を考えたので書き記しておこうと思う。なおここでは過去を振り返らず、将来の生活全体についてのみ考えてみたい。
健康でいたい
誰もが願うことかもしれない。
自分も願っている。いや最近特に強く思う。
とにかく健康でいることに越したことはない。健康であれば何でもできる。健康第一は間違いなく最優先事項だとあらためて感じる。
健康でいるための行動をここから10数年継続したい。
筋トレする
2023年からスポーツジムに通いはじめた。
これまでも筋トレは断続的におこなってきたのだけれど、ここ数年は感染症もあって控えてきた。
その代わりにジョギングをしてきたのだが、どうも効果が実感しづらかった。効果とはなにか。爽快感、筋力向上、持久力向上、いろいろ計測方法はあるだろうけれど、どれもはっきりとは感じられない。
そこで筋トレに関する本や動画などを見て、どうも筋トレのほうが自分には良いのではないかと思ったのだ。
筋トレによる効果の詳細はここでは割愛する。ただ、テストステロンをはじめとする良い分泌が促されることと(このあたりはエビデンスとなる論文があるようだ)、筋トレは筋トレしている間だけではなく筋トレを終えた後もカロリー消費が促されるためその効果が持続すると言われれている。
筋トレを運動の中心において、健康でありたいと考えている。
テニスをする
テニスは社交的なスポーツである。テニスはひとりではできない。
数ある運動のなかでも人と関わりながら、ときには協力しあったり、戦ったり、学んだり、教えたり、とテニスはとても社交的である。
さらに、ボールを追いかけるための短距離スプリントが頻繁に繰り返され、体をねじり、手をまわし、しゃがみ込みながら踏ん張る、など体全体の筋肉の総合力が求められる。
社交的であり筋肉も存分に動かせるこのテニスを続けたい。
2023年にテニスクラブに所属した。2023年はいくつかの運動を始める起点の年になっている。
数十年前の学生時代にソフトテニスの経験があるのだが、あらためて硬式テニスを習得して、60歳に友人たちとテニスを楽しめるイメージをもってる。
自転車に乗る
テニスをしている人たちに多いのはロードバイクに乗っていることだ。
自転車で通える範囲のコートに出向いて、そこで友人たちと会う。
このロードバイクに乗り、数十分こぐこと自体もとても良い運動であり、健康に結びつく。
いまのところロードバイクはもっていないので、ちょっと欲しい。60歳時点でも自転車にのっていたい。
自然に触れる
都市住まいの今、自然に触れる機会は限られる。
だから60歳ころまでにはある程度みどりがある場所に住まいを移したい。
窓から緑を見て自然の音を聞きながらアプリ開発をしたいのだ。
そんなにうまくいくかは分からないが、希望を持っておこう。
アウトプットする
文字でも絵でもアプリでもSNSでも、アウトプットをしていたい。
思考の良い練習でもあり、インプットを活発かつ貪欲にしてくれるエンジンでもある。
ブログ、SNS、10年後には他の媒体もでてくるかもしれないが、発信は続けていきたい。
緑が見えたらなお良いと思う。
投資する
60歳時点で労働へのモチベーションやら健康やらどうなっているのかわからない。
だからそれまでに少額でも良いので投資して利回りが得られる状態にしておきたい。
長期積立分散の原則に則って、ほったらかしでその他の大切なことに時間が取れるように仕組みをつくっておきたい。
はたらく
いまのコンサルティングの仕事を続けているのかどうかはわからないが、なんらか給与や報酬がもらえる仕事をしていたい。
フルタイムではないかもしれないが、パートタイムでも人と関わりながら、何らか自分の特性が活かせる労働をしていたいと思う。
アプリをつくる
60歳でもアプリをつくっていたい。
これは単純に楽しいからというのもある。
でも世の中の課題解決につながったらなお良い。言語や開発環境、デバイス、AIなどの進化によって10年後にアプリの姿がどうなっているのかはまったく想像がつかない。
だけれどその時の環境に適応したアプリ相当のものをつくっていたい。
やりたいことは多いのではないだろうか
なんだろう、結構やることがある気がする。
上記以外にも日常生活の行動、買い物や掃除、自炊、食事などがあるわけで。
ここまで書いた自分の60歳時点でしていたいことと、そのために今からやることを総合していみると、やることは結構ある。
そして何よりも60歳を迎えるのがそれなりに楽しみでもある。
動いて働いて書いて作って。
このコンセプトが60歳、70歳でも維持できたらこのうえない幸せなのかもしれない。